宮司よりひとこと

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全ては結ばれ繋がっている【更新日】平成31年4月2日

『古事記』の冒頭には、「天地あめつちの初めの時、高天の原に成りませる神のみな天之あめの御中主みなかぬしのかみ、次にたか御産みむびのかみ、次に神産かみむびのかみ」と、造化ぞうか三神さんじんが出てまいります。最初に宇宙の根元神、次に物事を結ぶ神様が現れました。この世は結びと調和によって物事が成り立っています。結ばれることによって命が生れ、新しい働きが現れるので「むす」とも書きます。紐を結ぶことによって違った働きが生れ、人と人とのご縁が結ばれることによって、新しい変化が現れます。湯川秀樹博士は、目に見えない原子と原子が結ばれて物が生れるが、これを結ぶためには何かそこに働きがあると考え、中間子〈素粒子〉を発見して、日本人最初のノーベル賞を受賞されました。我々の祖先は、素粒子の代わりに、これを「結びの神」と名付けて称えてきた、この感性の高さに脱帽させられます。

「国譲り神話」で、天つ神が顕界の政事まつりごとを、国つ神の大国主神が幽界の神事かみごとを分担しました。目に見えない不思議なご縁は神事として、大国様が差配されるところから、縁結びの神と称えられてきました。人生はご縁によって吉凶が大きく変わってまいります。このご縁というものは、自分の努力もさることながら、目に見えない神様ご先祖様に導かれている、ということが長い人生を重ねると、わかってまいります。この世は網目のように、全てが結ばれ繋がっているのです。「袖すり合うも他生の縁」の諺があるように、この世だけではなく、前世の関わりも大きく影響しています。それ故に神様ご先祖様に感謝の手を合わせる、敬神崇祖の心が大切なのです。スマホだけに囚われていたら、大事なことを見失ってしまうかもしれません。

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忘れてはならない偉人【更新日】平成31年2月28日

生駒山西方の河内の国は、太古神武天皇上陸の地であり、役行者ゆかりの地でもあります。中世は東高野街道の山麓を舞台に奮戦した楠木正行、近世は大和川の付け替えに終身尽力された中甚兵衛等、特筆すべき偉人が多数輩出し、安岡正篤大人もその一人です。日下小学校を明治43年に卒業し、四条畷中学、一高、東京帝大と常に首席で、神童と言われるほど知力体力徳力に優れていました。明治、大正、昭和を生き抜き、生涯名利を求めず、栄達を離れて東洋思想、漢学、陽明学の実践に終始し、偉大な業績を残されました。その一つが終戦の詔勅で、「堪え難きを絶え、忍び難きを偲び、〈以って万世のために太平を開かんと欲す〉」の、〈〉部を安岡大人が加筆し、「平成」と言う年号も大人の考案と言われています。

大人の過ごされた家は、今も生駒山麓の善根寺町に残されています。東京大学を卒業後、若年で金鶏学園を起こし、多くの人々に徳育教育を施しました。戦前は孫文や蒋介石も大人に深く師事し、終戦後は吉田首相をはじめ歴代首相の指南的立場にあり、政財界に大きな影響を与えました。先の大戦では、無条件降伏をした日本に対して、北海道、東北はソ連が、関東、中部は米国が、近畿、四国は中国が、山陽、山陰、九州は英国が分割統治することがほぼ決まっていました。蒋介石総統は、師と仰いでいた安岡大人に御恩を返すために、一切の賠償金と進駐権の放棄、中国大陸百万人の日本への無事送還を声明され、そのお蔭で、他国からの統治を免れたと言われています。全国に組織されている「師友会」や「木鶏クラブ」は安岡大人の威徳を受け継ごうとするもので、今もなお大きな影響を与えており、国家国民が忘れてはならない偉人なのです。

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東高野街道【更新日】平成31年1月31日

京都から高野山への参詣道として東高野街道があります。太古、大阪平野は河内の海が広がり、鯨が潮を吹いて泳いでいました。やがて干上がり、河内湖、湖沼、湿地帯へと変遷します。海抜10mのこの道は、湿地帯を避けて、京都と高野山を結ぶ生駒、葛城、金剛の山麓を通る主要街道で、中世、熊野詣でや高野山参りとして、盛んに利用されていました。

生駒山麓に鎮座する枚岡神社は、神武東征の砌にお祀りされた建国以前の古社です。北に進むと弥生町があり、西暦200年頃、神功皇后が朝鮮へ遠征し、見たこともない鉄の鍬や牛馬をこの地に運んできました。牛馬がここから全国に広がっていった地でもあります。さらに北に進むと日下町があります。カンヤマトイワレビコ(後の神武天皇)が白肩の津(草香の入江)から上陸し、ナガスネヒコと戦った所です。「草香(くさか)」という土地の名前を「日下」とも書くのは何故でしょうか。生駒の西側は急斜面で、お日さんが山から出ると、そのすぐ下に住んで居るところからでしょう。雄略天皇が約束を忘れた為に、赤猪子が「くさか江の入江の蓮 花蓮 みのさかりびと ともしきろかも」と詠った蓮は、日下から分離した善根寺町の原始蓮として名高く、重要文化財に指定されています。善根寺町は春日大社創建に際して、枚岡の神さまと共に奈良に行き、御殿の造営が終わって戻って来た人たちが住み着いた所で、天下の安岡正篤大人の生家があります。その北が大東市で、中垣内、寺川、北条、野崎を経て、四条畷神社が鎮座しています。枚岡から四条畷まで約8キロの道のりは、東高野街道のごく一部です。途中、昔の面影が残った所もあり、古い歴史と文化が山のようにあることが、歩いて初めて実感したのです。

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恩頼【更新日】平成31年1月11日

祝詞によく使われる「恩頼」という文字、これを「みたまのふゆ」と読みます。日本書紀や古語拾遺に出ている古語で、神の神秘な働きや恵みのことを言います。何故このように読むのでしょうか。諸説がありますが、春は木の芽が張るところからハル。夏は稲がナリタツや暑いが転じてナツ。秋は天候が明らかだからアキ。冬は御魂が殖ゆる時期だからフユと言う言葉が出来たと言われています。ミタマとは私たちの体の奥の奥にある霊魂や生命力のことで、遥か遠い祖先から、これを受け継いできました。この御魂や自然界の生命力が、冬は太陽の力の衰えと共に弱くなってまいります。そこで冬は暖かい春が訪れるまでひたすら心身を清め、行動を慎み、内在する魂の力を増殖増大させる期間と考えられてきたのです。祭りの前の「お籠り」や、陰暦月末の「晦(つごもり)」も、これに通じています。

私たちは目に見えない神秘な神の恩恵によって生かされているのですが、便利で豊かなことが長く続くと、感謝の心が薄れて、何事も当たり前になってしまいます。科学が進めば進むほどに、この世は神秘な世界が奥深く広がっていることがわかってきました。昔から一つの霊魂に、四つの働きがあると言われてきました。これを「一霊四いちれいしこん」と言います。生きとし生けるものを幸せにしたい、と言う働きが「さきみたま」。人は時には神秘な力を発揮することがあります、これが「くしみたま」。和やかな心の働きが「にぎみたま」。時には荒々しい心を発揮することがあります、これが「あらみたま」です。これらをバランスよく発揮させるためにも、内在する御魂の安定と増殖が必要です。私たちの祖先は見えないモノを、今よりも遥かに深い感性で捉えていたのです。

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