宮司よりひとこと

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「玉虫の厨子」と釈迦の過去世(2)【更新日】平成28年12月1日

「諸行無常」、「是生滅法」、「生滅滅已」、「寂滅為楽」という奥深い教えを聞いた童子は、後世の人のために、この言葉を木や石に記して、鬼との約束を果たすために、高い木に上り身を投げました。すると鬼は帝釈天の姿に戻って、落下する童子を受け止め、「汝は命を捨ててまで真理を知ろうとした、これは実に尊いことで、次の世では仏になれるだろう」と言った。果たして次の世で釈迦は、王子の身でありながら、出家して修行に励み、悟りを開いて仏になったのです。雪山童子のことは「涅槃経」に書かれているようですが、この尊い話が、「玉虫の厨子」に描かれているのです。

臨済宗中興の祖と仰がれた白隠禅師の「延命十句観音経」の中に、「與佛有因(よぶつういん)」という言葉があります。人は皆、仏になれる因子を持っていると。でも人はこれを認識しようとしないし、認めても努力をしないで、二度とない人生に悔いを残して逝ってしまうのです。某氏の父親が臨終で、「自分一代で地位も名誉も金も手に入れることが出来た。だがそれよりも、如何に世のお役にたったか、人に喜びを与えたか、それが一番大事であった」、と息を引き取られました。元気な時は肉体に楽しいこと,嬉しいことが死ぬまで続けば幸せである、と誰もが思うのですが、魂が肉体を離れて行く時に、そんな単純なものではなく、もっと奥深いものである、と気づくようです。その時にはすでに遅く。悔いが残ってしまいます。「己を忘れ他を利する、これ慈悲の心なり」は、伝教大師の言葉です。利他の心が「徳」を作り、内なる魂を磨いて、神仏の次元に近づく早道なのです。

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「玉虫の厨子」と釈迦の過去世(1)【更新日】平成28年11月1日

法隆寺の「玉虫の厨子」が、平成19年に復元奉納されました。輪島職人の技術向上のために、中田金太氏が資財を投じて実現したのです。奉納式に拝見させていただいた玉虫と螺鈿の輝きに感動するとともに、その内容を詳しく知ることが出来ました。

お厨子の正面は「舎利供養図(シャリクヨウズ)」。お釈迦さまのお骨を抱いた僧侶が描かれています。背面は「須弥山世界図(シュミセンセカイズ)」。天文学的な高い山に神々が、天空には日、月、星、天馬等々が描かれ、先人の豊かな想像力に驚かされました。

お釈迦さまは5,6百回輪廻転生を繰り返したと言われていますが、その代表的な過去世が側面に描かれています。その一つが「捨身飼虎図(シャシンシコズ)」。7匹の子虎が餓えた母虎に食われることを憂え、高台から身を投じて母子の虎を救った大慈悲。今一つは「施身聞偈図(セシンモンゲズ)」。

これは「雪山童子(セッセンドウジ)」の物語です。雪山(ヒマラヤ)で童子が修行をしていていると、恐ろしい鬼が来て、「諸行無常(ショギョウムジョウ=形あるものはみな変化してゆく)」、「是生滅法(ゼッショウメッポウ=これ生じ滅するのは自然の理)」と。素晴らしい言葉に童子は次を乞うと鬼は、「自分は人間の温かい血と肉を食って生きているので、それを与えるなら教える」と。童子はこれを約束したので鬼は、「生滅滅已(ショウメツメッチ=生じ滅する苦悩を断つと)」、「寂滅為楽(ジャクメツイラク=安らかな涅槃(悟り)の世界(神仏の世界)に行くことが出来る)」と。以上は『平家物語』の冒頭にも出てくる、仏教の有名な言葉です。

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神社の手水舎(てみずや)【更新日】平成28年10月3日

神社に行くと「手水舎」が目に入ります。青竹を細工したものや、立派な龍の彫り物もあり、色いろと工夫が凝らされています。因みに枚岡神社は春日大社と同様、鹿がくわえた巻物から、水が出るようになっていて、鹿とのご神縁が深いことを物語っています。 

神社は神霊が鎮まる聖域ゆえに、鳥居を入る時には一礼をするのが礼儀です。礼儀といえば、昔から尊いものに接する時には、心身を清浄にし、身だしなみを整えました。正月や祭礼には身を清め、ケ(普段)の服装からハレ(特別)の服装に改めるのが、わが国の麗しい風習でありました。手水舎は尊い神様にお会いするのに、禊を簡略化したもので、手と口を清めるための施設です。「国生み神生み」の神話を読むと、火の神を生んで黄泉の国に逝ったイザナミを、イザナギが尋ねる場面があります。醜くなったイザナミの体に取りついていた、たくさんの恐ろしい雷神が、イザナミを襲ってきます。ほうほうの体で逃げ帰えったイザナギは、心身ともにケガレ(神気が枯れること)たので、身につけている全てのものを捨てて、入江で禊をしました。そして左目を洗うと天照大御神が、右目を洗うと月読神が、鼻を洗うと須佐男神が誕生したのです。これらは捨てることによって、執着から離れて清々しくなり、水の霊力によって尊いものが得られることを教えています。

また水は60兆の細胞に行きわたってバランスを整え、心身を清浄にし、神気を蘇えらせる力があるのです。生命の誕生が海であることを思えば、水に対する信仰が、世界共通であることが頷けます。日本人の風呂好きは、禊の風習が影響しているといわれています。

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伊勢志摩サミットによせて【更新日】平成28年9月9日

今年の5月に伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)が開催され、初日の26日午前中に、各国首脳が伊勢の神宮に表敬訪問をされました。安倍首相は内宮で出迎え、参道に神宮杉を植樹したあと、御垣内で参拝され、神楽殿でお神楽をご覧に、各首脳は次のような感想を記帳されました。

安倍首相の「平和と繁栄を祈る」に続いて、アメリカのオバマ大統領は「幾世にもわたり、癒しと、安寧をもたらしてきた神聖なこの地を訪れることができ、非常に光栄」。フランスのオランド大統領は「日本の源であり、調和、尊重そして平和という価値感をもたらす、精神の崇高なる場所」。ドイツのメルケル首相は「伊勢神宮に象徴される日本国民の豊かな自然との密接なむすびつきに深い敬意を表します」。イギリスのキャメロン首相は「平和と静謐、美しい自然のこの地を訪れ、伊勢神宮で敬意を払うことを大変嬉しく思います」。イタリアのレンツィ首相は「歴史に満ち示唆に富む場所で、素晴らしい歓待をいただきまして、ありがとうございます」。カナダのトルド首相は「伊勢神宮の調和に、繁栄と平和の未来を創るという我々の願いが映し出されますように」と。

参道に巨木が聳えており、人よりも木が優先されている。儀式や芸能は千年以上続いている。御殿を飾る真榊は神代の昔から踏襲されている。自然の中に溶け込んだシンプルな神殿と静謐と調和。1300年続いている式年遷宮。これらは世界でも稀なる、わが国が世界に誇れる文化です。外国人が絶賛すると、やがて日本人が目覚めるというのがこれまでの例。大転換期到来か。

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梅ウイルス【更新日】平成28年8月9日

アブラムシを媒体として梅ウイルス(プラムポックスウイルス)が、全国的に広がっていると聞いていましたが、昨年、枚岡神社の梅林でも感染していることがわかりました。全体の10%以上が感染しているので、国の条例により全部伐らなくてはならないのです。

枚岡梅林は140年の歴史があり、30種類、約500本が植樹されています。早春になると大勢の老若男女がやって来て、その美しい花と香りを楽しんでいました。6月の梅狩りには、毎年多数の人が、たわわに実った梅の実を狩って、梅干や梅酒を作り、枚岡梅林に親しんでいたのです。それが今年中に根っこから全部引き抜いてしまうことになり、感染していないものまで、全部犠牲になってしまうのが可愛そうでなりません。

枚岡梅林は神仏混交の昔、神護寺、枚岡寺等の宮寺が存在していましたが、明治の廃仏毀釈でなくなってしまい、その跡地に少しずつ梅樹を植えたのが始まりです。その後氏子崇敬者の献木によって規模が拡大し、時代々々に維持運営を行う団体が組織され、護持されてきました。戦後は大阪府によって維持管理され、昭和49年には大阪府の「名勝」に、平成元年には「大阪みどり百選」に、平成13年には梅林を含む枚岡神社の社叢が、環境庁より、「かおり風景100選」に指定されました。当分の間は梅を植樹出来ず、3年後に半径500m以内で、盆栽を含む全ての梅にウイルスが見つからなければ、植樹が可能となるのです。今後は、大阪府の公園管理課と相談をしながら、人々の心が癒される、神様の境内に相応しい、梅を含めた森作りに努力して行きたい、と思っているところです。

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誤解された大麻(たいま)【更新日】平成28年7月4日

参拝者から、「なぜ神社が<大麻>を扱っているのか」と、問われることがあります。神社では神宮大麻(じんぐうたいま)というお札(ふだ)があるし、ご祈祷でお祓いをするのも大麻。ただしこの場合は「おおぬさ」と読み、「木綿(ゆう)」という白い紙と、「麻(あさ)」の繊維が付いています。麻の初見は『古事記』に見え、天照大神の岩屋からの出現を願って、祭りを行ったその装飾に出てきます。

香具山の根引きの榊に、玉や鏡とともに青和幣(あおにぎて)と白和幣(しらにぎて)を飾りました。青和幣とは麻のこと。白和幣とは白い布で、後に五色に変わり、紙に変化します。「木綿(ゆう)」とも言われ、両者は太古から神聖を意味して、神事に使われてきました。今もこの神聖な木綿と麻の付いている大麻(おおぬさ)で邪悪なものを祓っています。麻は大麻ともいわれ、神社に欠くことの出来ない祭具です。この神聖な麻を使ってお札(ふだ)にしたのが「神宮大麻」です。

ところで日本に進駐したGHQ(連合軍総司令部)が、大麻は麻薬だといって栽培を規制しました。麻の成分はテトラ・ヒドロ・カンナビ・ノール(THC)。カンナビと言えば、神様のお山も神奈備(かんなび)というから面白い。日本の麻はこのカンナビ・ノールが多く含まれて、薬物を打ち消す働きがあるので、麻薬としては使われてこなかったのです。

麻は太古からお米に次ぐ農産物として全国で栽培され、祭具の外に衣服や蚊帳、油、魚網、鼻緒、食料等広く一般に利用されてきたのですが、この規制によって生産する農家は激減し、神事に用いる精麻の生産も高齢化とあいまって、危機的状態になっているのです。

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懺悔と感謝と慈悲の心【更新日】平成28年5月31日

人間は愚かですから、過ちを繰り返します。そこで懺悔(ざんげ)をして繰り返し反省が必要となるのです。魂の奥底から反省するのが懺悔(さんげ)。同じ字を書いても、濁るか濁らないかによって大きく意味が違ってきます。神様のお山に入ったら、「懺悔懺悔(さんげさんげ) 六根清浄(ろっこんしょうじょう)」、と「さ」を濁らないで唱えるのです。

私たちは時には思いや行動を振り返る必要があります。土中には目に見えない微生物がいて、その力によって蒔いた種は、水や空気や光の作用とともに発芽します。大村智氏はこの目に見えない微生物の力でノーベル賞を受賞しました。目に見えない隠れた大いなる存在に対して、先人は「お蔭さま」、という言葉を使ってきたのです。自分の行いや思いを反省し素直になると、私たちは天地自然の恵みによって、生かされていることがわかります。このほかにも両親や友達や先生、数え上げればきりがない数多くの御蔭、恩恵によって生かされているのです。

恩という字の「因」は、家の中で悠々と大の字になって寝ている様子。これは誰の御蔭か心で考えなさい、と言う意味があります。考えてみますと多くの恩恵によって、生かされていることがわかり、この戴いたご恩の貯金を、これからお返しして行かなければなりません。これが慈悲の心と繋がり、慈悲の心でお返ししてゆく事によって、内在する魂が磨かれてゆくのです。自然に対しても感謝し、慈しみの心で接して行けば、自然が豊かになり、それによって自ずと人は幸せになれるのです。

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日本の心を世界に発信【更新日】平成28年5月6日

5月に伊勢志摩でサミットが開催されます。安倍首相が伊勢を選ばれた意味は大きなものがあります。想い起こせば平成7年(1995)1月17日に阪神淡路大震災がありました。M7,3という巨大地震。神戸を中心に惨憺たる被害でありました。私は神戸という地名に、人間の驕りに対する、神の忠告のようなものを感じました。そして多くの人々が自然に対する畏敬の念を持ったのです。でも人間は愚かですから、いつの間にか忘れてしまいます。

そんな中で16年後の平成23年(2011)3月11日に、千年に一度と言われる東日本大震災が起こりました。M9というとてつもない大地震で、画面に映し出された想像を絶する光景に、人々は自然に対して人間がいかにちっぽけな存在であるかを、またまた思い知らされました。翌24年(2012)は神話の『古事記』が編纂されて1300年を迎えました。日本の歴史の奥に神話があること、日本の文化は神話と繋がっていることを認識いたしました。

その翌年の平成25年(2013)は天つ神の代表でもある伊勢の神宮と、国つ神の代表的存在の出雲大社の遷宮が、同じ年に斎行されました。これによって多くの国民が、日本の素晴らしい歴史と伝統文化に目覚めました。そして今年は伊勢志摩サミットです。これによって日本の心の象徴でもある伊勢の神宮が世界に発信され、日本の素晴らしい文化が、世界中に見直されていくのです。そして4年先の東京オリンピックの開会式で、日本が何を発信するかによって、日本ひいては世界の将来が決まるものと思っています。それ故に伊勢志摩サミット開催の意味は大きいのです。

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無限に広がる神の領域【更新日】平成28年3月31日

科学は際限なく進歩し、今まで分からなかった<神の領域>が、次々と解明されてまいりました。1ミリの100或いは50分の1とも言われる細胞の中を究明してゆくと、宇宙のように無限に広がって、壁が見えないと言われています。人の細胞は60兆と言われているので、体の中には、60兆の宇宙を持っていることになります。私たちは太陽系におり、これが何億も集まって銀河系となり、これもまた何億も集まって超銀河系を形成しています。この見える世界の大宇宙と、体の中の小宇宙がつながっているのですから、「無一物」の体の中は、「無尽蔵」の宝の山が存在していることになるのです。

物質の最小は原子と思われていた時は、それより奥は<神の領域>でありました。ところが原子と原子がくっついて物質が成り立っているが、それにはくっつける何かがあるはずだ、と湯川秀樹博士が研究して、中間子という素粒子を発見してノーベル賞を受賞されました。このほかにも電子や陽子や中性子、また人間の体や大地を突き抜けて行く超微細なニュートリノも発見されました。

天文学の世界では、この宇宙は見える世界が4%で、あとの96%はダークマターや、ダークエネルギーという見えない存在があって、引力や種々の働きをしていると言われています。見えない世界は信じない、というのは実に非科学的、ということになります。 科学の進歩とともに、わからない<神の領域>が次々と解明されて行きますが、それとともに、わからない<神の領域>が、際限なく広がっている、ということもわかってきたのです。

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科学が宗教に近づいてきた【更新日】平成28年3月4日

「科学が宗教に近づいてきた」、ある宗教者の言葉です。私たちは天地自然の恵みによって生かされています。土や水、風や日の光、このどれ一つ欠けても、生物は生けては行けません。この不思議な力を、先人はカミと言って、敬謙な気持ちで感謝してまいりました。親が悪い行いをすると、子孫に悪い影響を与える。因果応報と宗教者が人々に教えてきたものが、科学の進歩とともに、遺伝子学で説明出来るようになってきました。

遺伝子学の権威者である村上和雄氏は、「遺伝子はONになったりOFFになったりしている。人間の起源が500万年前とすると、細胞の中には、天文学的な祖先の遺伝子が存在していることになる。良いことをした祖先もいっぱいおれば、悪いことをした祖先も膨大にいる。亡くなった者は関係ない、と祖先を無視していると、どんな悪い遺伝子がONになるかも知れない。そうなるといくらもがいても、悪くなって行く。ところが神を敬い、祖先に感謝していると、良い祖先の遺伝子がONになって、良い方向に導いてくれる確立が高い」、と仰っています。若い人たちには死語ともなっている「敬神崇祖」の心が、いかに大事であるかが、科学者の言葉によって、より理解し易くなってきました。

近年、目に見えないから信じない、死んだら無になってしまう、という浅はかな考えを変えて行かなければなりません。亡くなった御霊に感謝の誠をささげれば、御霊は喜ばれて昇華し、子孫を見守ってくれる、と言う神道の祖霊感も、遺伝子学から納得できるのです。感謝の手を合わす日本の美しい風習を、子供たちに伝えて行かなければなりません。

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獅子と狛犬【更新日】平成28年2月5日

神社に行くと目に入るのが鳥居と狛犬です。鳥居は聖と俗との結界、狛犬は邪悪なものを祓う意味があります。狛犬は左右一対となっており、一方が獅子で、片方が狛犬です。獅子のルーツはエジプトにまで遡ると言われています。昔からライオンは百獣の王といわれ、人々から畏敬されていました。その強い力を示しているのが、人の顔をもったライオンの姿のスフィンクスです。古代オリエントの国々でライオンの彫刻が彫られ、インドでは釈迦像を守るために、ライオン像が施されました。中国では獅子の姿となり、中国以外の狛(高麗とも)の霊獣とともにわが国に入ってきました。

寺院では狛犬の代わりになるのが仁王象です。その代表的なものが東大寺の南大門にある運慶、快慶等の巨大な金剛力士像です。邪悪なものを寄せつけないよう、力強く睨みをきかせています。口の開いているのが阿形像、閉じているのを吽形像といい、最初と最後を現しています。「阿吽(あうん)の呼吸」という言葉は、互いの気持ちが一致することであり、陽と陰の調和をも表しています。

赤子が生まれた時に、「おぎゃー」と声を出すのが「呼」、出すと自然と息が入ってくるのが「吸」です。何事も出す方が大事で、出さなければ入りません。体も人間社会もそのようになっています。仁王さんと同じように狛犬も、獅子が口を開き、狛犬が閉じているというのが一般ですが、どちらも獅子の形をしていたり、獅子が閉じて犬のほうが開いていたり、神社によってまちまちです。春日大社の若宮には、小さな国宝の白磁の獅子と銅製の狛犬が殿内に納まっていました。因みに枚岡神社の狛犬は鹿の姿をしています。

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神棚のある生活【更新日】平成28年1月15日

正月は年神(としがみ)さまを家庭にお迎えして、一年の幸せをお祈りします。家の門前に飾る門松は、古来、神が宿る木とされ、年神さまの依代(よりしろ)でもあるのです。神棚に供える鏡餅は、年神さまのみ霊(たま)の依代です。

鏡餅とともにお飾りする橙(だいだい)は、子孫が代々栄えるように、ゆずり葉は、子や孫に命を譲ってゆけるように、裏白は、邪悪に染まらず、心身が清浄であるように、との意味があります。因みに正月の7日は七草粥を食べて一年の息災を祈り、11日は鏡餅を割って食べる鏡開きがあり、小正月といわれる15日は、正月飾りを焼く左義長(さぎちょう=とんど焼き)が行われます。これは正月の縁起物に依りついた年神さまを、炎とともにお送りするのです。

1月15日は長い間「成人の日」として祝日でありました。この祝日が小正月の日として、その風習が全国に残されていました。枚岡神社もこの日は小正月を祝う参詣者で賑わっていました。休日を三連休にする政府の安易な考えによって、先人から受け継がれてきた日本の麗しい風習が、全国的に薄れて行きました。かつて各家庭に当たり前のようにあった神棚が、近年少なくなってきました。これに伴い感謝の心が稀薄となり、先人が築いてきた麗しい文化が消えて行き、国全体が根無し草のようになりつつあります。「三つ子の魂百までも」と言われるように、神棚をお祀りして手を合わせ、神様と共に生活している家庭と、そうでないのとは自ずと差が出てまいります。子供は無限の能力をそなえており、玉のように輝くか、塵のようになるかは、幼少時の親の生活態度、環境にあるのです。

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